人に限らず万物には必ず終わりというものがある。
人間が考えだした一年という尺度からすれば、長く存在するものもあれば、短くしか存在しないものもある。
それはあくまでも人間の尺度であり、そのものにとっては真っ当な一生なのかもしれないけど。
こと人間に関して言えば人の一生というのはたかだか長くても100年ちょっと。
1000年以上生きる樹木達や、はたまたこの地球や宇宙の生涯に比べたら微々たるものだ。
しかし我々は自分たちの生きる時間というのをある程度は理解している。
だからこそ生を謳歌し、死を恐れる。
恐らく他の物に比べると、死というものを理解していきている生物だろう。
そう死というものは必ず訪れるものだ。
そしてそれを必ず目の当たりにしなければならない。
飼っていたペットの死や近所の人の死、また親類の死、そして友達の死や家族の死、最後は自分の死というものが訪れる。
早かれ遅かれそれは必ずやってくる。
どんなに今青春を謳歌してようが、まだまだ働き盛りだと思っていても必ずやってくる。
輪廻転生などという言葉もあるけれども、それを証明できることはいまだにないし、過去や未来が見える人がいるのならば、世の中をもっとより良い方向に進めてもらいたいものだ。
結局のところ今自分自身に記憶が残っている間こそ、一生懸命に生きるべきなんだろう。
過去や未来ではなく今。
「今を生きる」という言葉は飾り気もなくシンプルで、オシャレな言葉ではないかもしれないけど、とても良い言葉だ。
過去に過ちを犯した諸君、今を生きよ。
未来に希望を持つ若人よ、今を生きよ。
生きていく希望さえ失った人たち、放っておいても人の一生は決まっているのだから、まずは今を一生懸命生きよ。
何も考えずにダラダラと生活している諸君、自分の存在意義を一生かかってでも探し出せ。
それが老後になったっていいじゃないか!
まずは今を一生懸命生きよ。
自分は自分がやるべきことが分かっていて幸せなのかもしれない。
色んな壁にぶつかったり、上手くいかなかったり、思い通りに事が進まなかったり、理想と現実のギャップに悩まされたり、きっと皆と同じように悩んでいるかもしれないけど、それでも自分に出来るわずかな事を理解しているから、またそれをやり続けるという意思があるからこそ、困難に立ち向かう事ができるのかもしれない。
自分のやってることを遊びだとか趣味の延長だとか、特に端から見れば少なからずそう思われることがあるかもしれない。
でも生活の全てが自分のやりたいこと/やるべきことにつながっていく。
もう仕事とか趣味とか楽しみを通り越して、天命という言葉に近いかもしれない。
アルバム制作前はこんな哲学的なことを色々考えながら自分を高めていくのです。
話はだいぶそれましたが、まずは過去の過ちは反省し、未来へのビジョンはしっかり持つ。
しかし一番大切なのは今を生きること。
今がないということは過去も未来も閉ざされてしまうのだから。
徒然なるままにでしたね。
最後に、病気と闘うばあちゃん、頑張って!